シャンタラム

「人は正しい理由から、まちがったことをする」

キーワードのひとつだ。

コロナ禍で在宅勤務がメインとなって2年。もともと活字中毒だと思っていた自分が思うように読書ができなくなっていた。正しく言えば読書をしなくなっていた。そんな中、FMの番組で紹介されていた本書「シャンタラム」を手に取り読み始めた。

大変面白い小説なのだが、思うように読み進められない。巷では?寝る間も惜しんで読み進めた、駅を乗り過ごした、等々一気に読み終えた派が多いようだ。

私の場合はずいぶん時間がかかってしまった。上中下3巻という長編だが、長いから時間がかかったのではない。特殊で経験のない状況下での精神状態の影響もあるだろうが、かつてロシア小説で苦労したように登場人物のインド名、アフガニスタン名、そして別称などが時間経過とともに小説の流れを追いにくくしていった。

ただ、面白い小説であるのは間違いのないこと。挫折することなく読み終えたことが何よりの証拠だ。

後書きが養老先生だったのにも驚いた。後書きは先に読まない派です。

ネタ晴らしをするつもりもないし、正直主人公の人生が色々あり過ぎてネタ晴らしのしようもないのです。

英語が原作の小説だが、心象描写がここまで深遠で細やかなものにはあまりであった記憶がない。一度読んだ本を読み返すことは稀だが、流れを途切らせずにざっと読み返すのもよいかなと思っている。

美しき愚かものたちのタブロー からの

原田マハは相変わらず好きで読んでいる。直木賞にノミネートされたこの作品もカミサンが読んだあとに自分も読むことができた。

そして今は積読状態だったやはり原田マハのスイート・ホームを読んでいる。

アートな世界になると自分の専門分野の意識が強すぎるのか、作者が前のめりになっているように感じる。特に「タブロー」はそうであった。あの長さに詰め込むストーリイが多すぎたように思う。こちらは面白いには面白いのだがどうしても視点が定まらず、最後までのめり込むことができなかった。

一方現在読んでいる「スイート・ホーム」は肩の力がいい加減に抜けて読みやすい。しっとりと訴えかけてくれて大変心地よい気持ちにしてくれる。

ガール・オン・ザ・トレイン(ポーラ・ホーキンズ著)

ピエール・ルメートルの「悲しみのイレーヌ」の結末の衝撃(タイトルやらからなんとはなく想像は出来たが)も冷めぬまま、あとがきを読む。そこにいくつか紹介されていた本書を図書館で予約し読んだ。

どちらかと言えば静かなスタートだ。ルメートルの筆致との違いに戸惑い、なかなか読み進むスピードも上がらない。

アルコール依存症であることが明らかなレイチェルの語る内容の異常さが徐々に際立っていく。ただこれは驚きの結末に至る壮大な伏線だった。外からは分からない人間の内面を描き出しているのだが、それぞれの抱える闇の深さに読んでいるこちらの気分はどんどん重いものになる。

どうしてレイチェルは無意味(と思われる)行動を衝動的にとってしまうのだろう。アルコール依存症で「きっと」酷い外見になってしまっているから立場をどんどんと悪い方向にもっていってしまうのに。しかし、これらがすべて彼女自身が殻を破るために必要不可欠であったことが分かる。

立場の弱い女性(に限らない)が、なんらかの弱点を突かれて理不尽に追い込まれていく、すべて自分が悪いのだと洗脳されてしまう。尽きることのない社会的な問題を描き出している。

稀勢の里

相撲には全く興味が無くなって久しい。

いつか日記だかブログだかにも書いた覚えがあるが、「競技」としては不完全この上なく、現代の基準からすると失敗していると言っていい。勝負を個人レベルで競っているのに仕組みが不公平すぎるのだ。

さて、久しぶりに生まれた日本「生まれ」の横綱が引退を表明した。一片の悔いもない、とのコメントだった。スッキリした表情でもあった。でも、コメントは「嘘」である。

状況証拠だけではあるが、全てが中途半端過ぎるのだ。勿論他人の知ったこっちゃないのだが。